奈良県の地場スーパー研究 【第四回】スーパーおくやま

奈良県のご当地スーパーを紹介するこのシリーズ。今回は奈良県中和地域のみに店舗を構えるスーパーおくやま。

2000年代、田原本から中和地区全体に店舗を展開するようになり、一躍人気スーパーに。他都道府県民はもちろん、奈良市民や生駒市民などおくやまをまだ知らない人へ魅力を届けます。

 

概要

1972年奥山務氏により磯城郡田原本町に第一号店が開業して創業。いそかわやヤオヒコ、中村屋など他のスーパーと比べだいぶ遅く、歴史が比較的浅い。

1982年に株式会社スーパーおくやまとして会社設立。

2020年、大阪のコノミヤに買収され完全子会社となる。そして昨年(2023年)遂にコノミヤに合併され、会社としては解散。屋号は継続して使用されている。

ちなみに創業者の奥山務氏はコノミヤの子会社となる2020年まで社長を務めていた。

 

店舗紹介

おくやまといえば、特に閉店もせず新町・三笠・上牧・橿原・結崎・高田の六店体制で今の今までずっと営業しているイメージが強い。というわけで、一店舗ずつ解説していく。

 

スーパーおくやま新町店

近鉄田原本駅西田原本駅があり、昔ながらの田原本の街並みが広がる<大字無し>地域の少し北、田原本町新町に1995年開業。

現役店舗として最古の店舗であり、株式会社スーパーおくやまの本部が併設されていた。

オールドな見た目だったが、子会社化を機にリニューアルされ、コノミヤロゴが入った綺麗な外観になった。

     

 

スーパーおくやま三笠店

新町店から田原本駅を挟んで反対側、田原本町三笠に2000年頃開業。

「ス ー パ ー お く や ま」の絶妙な字間と字の小ささ、「食品スーパー」ではなく「スーパー」なのが、この頃のおくやまの特徴である。(新町店も改装前はこんな感じだった)

     

 

スーパーおくやま上牧店

遂に田原本を飛び出し、北葛城郡上牧町に2002年開業。

これまでもおくやまは駐車場を完備し、車で来るお客さんに対応していたが、上牧店以降は駐車場が広大なものとなり、完全な郊外型店舗を展開するようになっていく。

米山台や葛城台、ささゆり台などニュータウンに囲まれるが、その分ディオやMEGAドン・キホーテUNY(元アピタ)などライバルも多い。

ちなみに、おくやまの店舗は「DAILY HYPER MARKET」とどこかしらに記されているのだが、上牧店は「DAILY HYPER MARCKET」と盛大に誤字っている。

 

スーパーおくやま橿原店

田原本からさらに南へ、中和幹線沿いに2007年開業。橿原といっても東の端で、桜井市との市境付近にある。

橿原店から中和幹線を少し西に進むとオークワ、ダイレックス、サンディが、桜井方面にはラ・ムー、イオン、ロピア(開業予定)があるという激戦区。

中和幹線を挟んだ向かいに配送センターがある。青字の「スーパーおくやま」は新鮮。

(左)おくやま橿原店 (右)スーパーおくやま配送センター

 

スーパーおくやま結崎店

磯城郡川西町の結崎駅近くに2010年開業。磯城郡三店舗目であり、川西町唯一のスーパーマーケット。(ちなみに川西町の北隣・安堵町と南隣・三宅町にはスーパーマーケットが存在しない。)

建物の大きさからも分かる通り、おくやま初の居抜き出店であり、元々はニチイ結崎店結崎サティ

二階は衣料品店ファミスタが入居していたが撤退し、現在はコノミヤが直営で衣料や書籍を取り扱う、総合スーパーのような形態になっている。

(左)現在は駐車場から出る道だが、かつてはちょっとした商店街のようになっていた。
(右)「サティ」が残る地図。

 

スーパーおくやま高田店

橿原店から中和幹線を西にずっと進んだ先、大和高田市広陵町との境界付近に2013年開業。現状最も新しい店舗であり、ここ以降の新規出店は無い

ココカラファインや美容院を併設しており、広めの店舗。

中和幹線沿いはここより東の橿原、西の真美ヶ丘では散々栄えているが、高田店周辺はまだまだ田んぼが広がるのどかなエリア。しかもすぐ近くにイズミヤスーパーセンター広陵店がある立地だが、何とか頑張っている印象。

     

 

一号店はどこ?

以上の文章を読んで、疑問に思ったことはないだろうか。

創業が1972年、会社設立が1982年だが、新町店の開業は1995年。新町店は一号店ではなく、創業から営業していた店舗が他にあると考えられる。

ただ、トラックに青果を積んで販売したのが始まりで、徐々に品目を増やしてスーパー業を始めたと書かれた記事*1もある。いろいろ謎のままだった中、田原本町八尾で下の看板を見つけた。

  

古そうな田原本町商工会掲示板。上の看板の「ダイエー」はダイエー八木店のことだろう。

この掲示板の下に「ファミリーショップ おくやま 小林住宅前」の文字。

他の場所でも発見。うっすら「おくやま」の文字が見える。よく見ると、「国体リハーサル大会」とか「開催 S58・9・3~6」と書かれたチラシの跡が残っている。わかくさ国体のバドミントン会場であった田原本町で、1983年に開催された全日本社会人バドミントン選手権大会のチラシだろう。すなわち、この掲示板は1983年以前からあったものであり、「ファミリーショップ おくやま」も1983年以前には存在した店舗であることが分かる。
住宅地図で探してみた結果、この掲示板があった八尾地区で「ファミリーショップ おくやま」を見つけた!

現在は花屋さんになっているが建物は当時のままと思われる。多分ここが一号店。どうやら新町店開業後もしばらく営業していたらしい。

 

おくやまのロゴ

おくやまといえば特にロゴマークもなく、外装の「おくやま」の文字もどこにでもあるような平凡なフォントである。一方、チラシや掲示類などでは丸みのあるフォントが用いられている。どちらもイメージカラーが赤であることが分かる。

(左)おくやま高田店外観 (右)高田店セルフレジ導入の掲示

コノミヤ子会社化前のチラシ。安すぎるたまごはおくやまの名物でもあった。

しかし、おくやまはロゴがなく、平凡なフォントを用いているだけとは言い切れない。

磯城郡ならどこの家にもある(?)おくやまのレジ袋。そして本当にこのレジ袋でしか見たことがないスズランのイラスト。しかもよく使われている赤ではなくオレンジ色を用いたデザイン。

「食品スーパー おくやま」のフォントも平凡ではない独特なものである。こちらはレシートにも用いられている。コノミヤの子会社になり、レシートは2023年現在でも特に変化はないが、レジ袋はコノミヤのものに変更されてしまった。

いろいろな「おくやま」

 

情報提供お待ちしています!

店舗数が少ないため、店舗の情報を調べるのは比較的容易でしたが、株式会社スーパーおくやまという企業自体の情報や、ファミリーショップおくやまなど、まだまだ分からないことばかりです。

昨年、株式会社スーパーおくやまは設立41年で解散してしまいましたが、これからも「おくやま」がコノミヤの屋号として使われ続けることを願っています。

 

 

奈良県の地場スーパー研究 【第三回】中村屋

奈良県のご当地スーパーを紹介するこのシリーズ、第三回は中村屋です。

創業から100年以上、奈良・生駒・木津川の3都市のみで営業してきた超ローカルスーパーを紹介していきます。

 

歴史

1911年 中村石蔵氏が奈良市下清水町中村屋商店を創業。

1961年 スーパーマーケット業を開始

1979年 株式会社中村屋設立

1985年 大宮1丁目店に本社移転

1993年 奈良県外初出店

2011年 奈良市の三店舗を一斉閉店

2022年 大宮1丁目店閉店で京都府木津川市梅美台店へ本社移転

奈良県の地場スーパー研究」だが、実は本社は京都なのである…

 

歴代店舗一覧

中村屋下清水店

1961年、中村屋がスーパーマーケット業を開始した店舗。奈良公園奈良教育大学の中間付近、中村屋創業の地。1985年まで本社があった。

2011年閉店、現在は駐車場になっている。

 

中村屋新大宮店

1978年、新大宮駅前のことやビル一階(現在エブリボディが入居)に開業。

かなりの街中にあったが、2011年閉店。

 

中村屋恋の窪店

奈良市恋の窪の住宅地に1980年開業。下清水、新大宮は比較的市街地の店舗だが、ここは完全に郊外住宅地。

ただ、下清水や新大宮と同じく駐車場が十分に無い小型店であり、時代の流れにあっていなかったのか共に2011年閉店。現在はファミリーマート

 

中村屋大宮1丁目店

JR奈良駅の少し北に1985年開業、創業地の下清水町からここの二階に本社が移転

2011年閉店の三店舗と同じく駐車場が十分に無い小型店であったが、本社併設だからか儲かっていたのか2011年は耐え、2022年に閉店。建物は解体され、本社も移転した。

     

 

中村屋高の原店

奈良市市街地周辺から抜け出し、京都府県境付近のニュータウン・高の原の山善ビルディング高の原駅前ビルに1990年開業。2006年閉店。

中村屋全店舗の中で、現在判明している限りでは一番初めに閉店した店舗

 

中村屋富雄店

これまでの店舗から一気に西へ、富雄エリア(三碓)に1995年開業。

阪奈道路のすぐそばにあり、富雄駅から富雄川沿いに南へ下った場所。駅からやや離れているが、帝塚山帝塚山南の住宅地から近く、丘の上の近大農学部に通っているとみられる若者もちらほら見られる。

創業地・奈良市唯一の店舗として2023年現在も元気に営業している。

     


中村屋東生駒

1999年、生駒市に初出店。店舗名は東生駒だが、東生駒駅前でもなんでもなく、住所としては壱分町小瀬料金所下りてすぐ、南生駒駅からも近いという何とも言えない場所。(どう考えても東生駒は無理あるが…)

     

 

中村屋富雄三松店

富雄駅から富雄川沿いに北へしばらく進んだ先に2011年開業。中村屋としては久しぶりの新店舗であり、富雄地区2店舗目。

しかし、ここから富雄川沿いに北へ進んだ先にラ・ムー奈良二名店が開業するなど経営が厳しかったのか早くも2018年に閉店してしまった。現在は居抜きでスギ薬局

     

以上が奈良県内の中村屋の店舗である。現在は富雄店、東生駒店と、木津川市の木津店、梅美台店の4店舗体制である。

 

その他

「中」をイメージした中村屋のロゴは古くから用いられているとされる。店舗を見て分かる通り、赤と緑は中村屋がよく使う色。

古くはいそかわ、イチカワなどと共に奈良県スーパーマーケット協会に加盟していたようだ。

     

比較的調べやすい企業ではありますが、それでも調べ切れていない店舗があるかもしれません。情報お待ちしております。

奈良県北部を中心に古くから愛されてきた中村屋。県外からどんどん競合が流れ込み、厳しいエリアではありますが、頑張ってほしいものです。

nara-nakamuraya.site

奈良県の地場スーパー研究 【第二回】ヤオヒコ

奈良県のご当地スーパーを紹介するこのシリーズ。第二回は王寺町畠田から奈良県地場スーパー界No.1まで登り詰めたヤオヒコ。

どこのグループにも属さず、独自路線で安さが自慢のスーパーマーケット。

 

簡単な沿革

1928年 創業

1975年 八百彦商店として会社設立  

2003年 北葛城郡以外に初出店

2011年 三重県に県外初出店

2012年 大阪府に初出店

 

第一回で紹介したいそかわは磯川商店から社名変更したものだが、こちらは現在でも株式会社八百彦商店という社名である。

 

奈良県内店舗紹介

ヤオヒコ畠田店

1977年開業。二階建ての本部併設店。ここ畠田の地からヤオヒコの快進撃が始まることになる。

ちなみに1982年には二階にサンバード衣料品店が開業。長崎屋提携店舗なのかは不明。

      

 

ヤオヒコ香芝店

ヤオヒコの2号店として1984年開業。国道168号線沿いにある…とはいえ周りは住宅地であり商業集積というわけではない。2018年建て替えて再開業。

     

 

ヤオヒコ美しヶ丘店

ヤオヒコのお膝元である王寺町の王寺ニュータウン1984年開業。

香芝や三郷など古参店が続々建替えられている中、ここまでオールドなヤオヒコが見られるのは感動モノである。

ホームページにヤオヒコで一番小さい店と記載がある通り、少し遠方からでも車でわざわざ買い物に行く場所というよりかは、周辺住民が徒歩や自転車でふらっと訪れる規模の店舗である。王寺駅方面へ頻繁にバスが発車するバスロータリーの横に、いくつかの商店と共に存在し、ニュータウン内の貴重な買い物の場として機能している。

店名の由来は、王寺ニュータウンが美しヶ丘とも呼ばれていることであり、ここはたまプラーザで知られる横浜の美しが丘と同じ東急が開発した住宅地である。

結構どうでもいいが「王寺美しヶ丘店」と記載されることもある。

隣接する商店群と合わせて商店街を形成。さながら駅前である。
(左)緑地に黄色で「ヤオヒコ」の文字。かなりの趣き。
(右)巨大塔屋もヤオヒコでは珍しい。

 

ヤオヒコ真美ヶ丘店

美しヶ丘から11年後の1995年開業。北葛城郡広陵町の西の端、真美ヶ丘ニュータウンに存在した。

ニュータウン立地という点では同様だが、美しヶ丘に比べて真美ヶ丘は規模が大きく、エコール・マミやならコープなど競合するスーパーがたくさんある地域。その影響か2020年に閉店。

特徴はなんといっても「YOUたうん」という謎の愛称(?)と、通常はオレンジのヤオヒコロゴが青色だったこと。

(左)閉店間もない頃の真美ヶ丘店。看板に「YOUたうん」
(右)閉店後はスギ薬局になった。

 

ヤオヒコ三郷店

王寺町の隣、生駒郡三郷町に満を持しての北葛城郡外初出店*1

近鉄生駒線勢野北口駅前、謎の古い建物*2に郵便局とかと一緒に入居していたが2016年閉店。建物は解体し、空き地の状態が続いたが、2019年に奇跡の再オープンを果たした。

 

ヤオヒコ真菅店

2007年、西和地区を抜け出し一気に橿原進出。そういえば、いそかわの橿原進出一号店も真菅だった(東真菅店)。

グランドストアますが」という寄合百貨店の跡地に居抜き出店したため、建物はデカくて古い。香芝や三郷が建て替えられていることからすると、真菅店の建て替えも近そう。

ちなみに「橿原ますが店」と表記されることもしばしばあり、公式でも表記は揺れている。


ヤオヒコ良福寺店

2号店出店の地、香芝市の南部に2009年開業。約三か月の改装休業の後、2021年10月にリニューアルオープン。

正面から見ると小さそうに見えるが、奥に長い店舗である。

どうでもいいことだが、最近オープン(大規模リニューアル・建て替え含む)した店舗は「いらっしゃいませ♪ようこそヤオヒコへ」と外装に書かれている。

      

 

ヤオヒコ王寺駅前店

一大ターミナルである大都会・王寺駅前(南側)に2011年開業。ヤオヒコのお膝元である王寺町の3店舗目。

閉店したイズミヤ王寺店の地下に居抜き出店。駅北側のリーベル王寺内の西友、南側のル・カーラ王寺内のラッキーと競合する立地だが、ここに店舗を置くだけでヤオヒコ自体の宣伝になってそう。近くに塾が多く、生徒が買い出しによく利用する店舗。

駅前の人気海鮮居酒屋・魚八庭の寿司なども販売している。

イズミヤ王寺店は1976年開業であり、ビルの老朽化が気になるところ。

      

 

ヤオヒコ富雄店

2014年開業、ついに奈良市に初出店。一気に最北端の店舗に。

奈良市の景観条例によるものか、ヤオヒコロゴがいつものオレンジよりやや黄色寄り、山吹色になっている。

隣接していたイオン(元ユニードダイエー)閉店の一因とも言われるほどいつも賑わっている。

 

ヤオヒコ北大和店

2017年、奈良市初出店の勢いそのままに、生駒市に初出店。さらに北大和という生駒市街よりさらに北(奈良先端科学技術大近く)のニュータウンに出店したことで、こちらが最北端の店舗に。

ちなみに1995年開業のグルメシティ(元サカエ)跡地に居抜き出店したもの。もう薄々気づいている方も多いだろうが、ヤオヒコは居抜き出店が本当に多い。

      

 

店舗一覧

1号店   畠田(1977)

2号店   香芝(1984)→建て替え

3号店   美しヶ丘(1984

4号店   真美ヶ丘(1995)→閉店

5号店   三郷(2003)→建て替え

6号店   真菅(2007)

7号店   良福寺(2009)

8号店   王寺駅前(2011)

9号店   上野(2011)→閉店

10号店 名張(2011)

11号店 柏原(2012)

12号店 富雄(2014)

13号店 柏原本郷(2015)

14号店 桔梗が丘(2016)

15号店 北大和(2017)

16号店 八尾木の本(2018)

2000年代に入ってから出店ペースがあがり、2014~2018には五年連続出店もしているが、八尾木の本店以降、5年ほど新規出店が無い。

2020年、イオンタウン生駒南(マックスバリュ生駒南店)跡地に、グーグルマップ上で「ヤオヒコ南生駒店(建設中)」と表示され少し話題になった。誤報だったのか、断念したのかは分からないが、結局業務スーパーが移転開業した。

ヤオヒコ上野店*3伊賀市
このフォントの「YAOHIKO」は初めて見たかも

 

ロゴの違い

ヤオヒコおなじみ、オレンジのyロゴだが、実は新旧で微妙に異なっている。

下の写真で左が古いロゴ(畠田店)、右が新しいロゴ(香芝店)。どこが違うか探してみよう。

答えは、古いロゴはオレンジの右下が丸くなっているのに対し、新しいロゴは真っ直ぐになっていることと、下の「YAOHIKO」のフォントが違う。もう一枚ずつ例を示すので見比べてみてほしい。

(左)畠田駅前のいかにも古そうな看板 (右)富雄店

こうして見ると他にも違うところがある気がしてくる。

    

ちなみにレシートは古い方のロゴを採用している。

 

情報提供お願いします!

以上、県内9店舗を誇るヤオヒコの紹介でした。店舗出店が比較的最近であることや、ホームページが充実していることにより、今回は調査が容易でした。ただ、1977年の畠田店が一号店とされていますが、創業はそのもっと前であり、真の一号店がどこなのかは不明のままです。

間違いなく、奈良の地場スーパーの中では一番勢いがあるヤオヒコ。新規出店は5年間無く、最近は既存店のリニューアルに力を入れているようですが、新店舗の情報が出るのを楽しみに待ちたいものです。

www.yaohiko.com

 

*1:香芝店開業当時、香芝市はまだ北葛城郡香芝町だった。ただ、三郷店出店より前に市制しているのでややこしいところではある。

*2:ヤオヒコ入居前はKマート勢野店→全日食チェーン勢野店が入居していたようだ。

*3:ニチイ上野店跡地

奈良県の地場スーパー研究 【第一回】いそかわ

奈良県の地場スーパーマーケット(ローカルスーパー)を紹介するシリーズです。

第一回は、かつて奈良県中にその名を轟かせたスーパー・いそかわ。

簡単な沿革

1946年 磯川商店設立

1960年 会社設立、奈良店開業(後に三条店となり閉店)

1965年 ㈱いそかわに社名変更

 ~  生駒市橿原市大和郡山市など奈良県各地の他、大阪府にも出店

1983年 林小路町から北永井町へ本部移転

 ~  京都府にも進出

2000年 新業態・パケットの1号店開業

2005年 経営破綻

2006年 マルヤスの完全子会社化

     北永井町から押熊町へ本部移転

 

各店舗の開業は後で紹介するとして、ざっとこんな感じ。

現在では奈良市周辺と京都に出店するいそかわだが、昔はいろんなところにあったことが分かるだろう。元気に営業している今となっては信じられないが、一度経営破綻している。

 

現役店舗紹介

それではお待ちかね、今も活躍するいそかわの店舗(奈良県内)を紹介する。

いそかわあやめ池店

1963年開業とも言われる超古参店だが、2008年建て替え再開業。いそかわの店舗の中で最も新しい建物でありながら、奈良店(後の三条店)に次ぐ2店舗目でもあり、いそかわを語る上で欠かせない店舗。

菖蒲池駅前の住宅地の中にある小型店。

       

 

いそかわイトーピア店

生駒市鹿ノ台に1979年開業。登美ケ丘のさらに北であり、公共交通機関での訪問難易度が高い。現役店舗の建物としては2番目に古いが、店内はしっかりと改装されており綺麗。

 

いそかわ尼ヶ辻店

尼ヶ辻駅近くののどかな住宅地に1984年開業。2017年の改装で外観も店内もかなり綺麗になった。

        

 

いそかわ新生駒店

生駒市に1996年開業。国道168号沿いの商業集積の中にあり、百均も入居、広大な駐車場を完備するなど、80年代までの「郊外住宅地の中にあり、徒歩や自転車でふらっと寄って買い物する小型スーパー」としてのいそかわとは一線を画す店舗。

生駒という店名は生駒駅北側にいそかわ生駒店(1973年開業)があったからだと思われる。

      

 

いそかわ押熊店

高の原と登美ケ丘の間の街、押熊に1998年開業。こちらもならやま大通りという片側二車線の道路沿いにあり、広大な駐車場を完備するなど、新生駒店と似たようなフォーマットの店舗。いそかわ本部が併設されており、今や珍しいひらがなロゴが見られる。

 

パケット大安寺店

いそかわの新業態・パケットとして2000年開業。

開業当初、2001年6月17日の奈良新聞では

「どことなく高級感が漂い、品ぞろえは普通のスーパーより豊富

「有線からはバロック音楽が流れ、照明は蛍光灯ではなく暖色系の柔らかい光に統一」

「店内に「いそかわ」のロゴは一切使わず、布や木を生かした商品ディスプレー」

とレポートされている通り、これまでのいそかわのイメージを払拭するかのような高級感を演出していたらしい。しかし、評価は厳しく

経費節減に向けて動いている時代の流れに逆行

「同業他社が「果たして高級感の似合う土地柄かどうか」と疑問視」

とも書かれている。

そんなパケットも今では奈良・大阪に4店舗。大安寺店は2022年、隣に新設されたスギ薬局とクリニックモールと合わせて「パケットモール」と名付けられたSCの核店舗としてリニューアルオープン。

当時の方針はどこへ、すっかり「普通のスーパー」寄りになったパケットだが、確かに今のいそかわを支える大事な要素であることは間違いない。

ちなみにこちらも国道24号のロードサイドで広大駐車場完備と、新生駒・押熊の流れを受け継ぐ店舗ではある。

 

パケット奈良店

いそかわ奈良店として1975年開業。現役いそかわの建物として最も古く、郊外メイン出店のいそかわとしては珍しい、奈良市中心市街地の店舗。

小西通りという奈良ビブレなどもあった商店街にあり、リンゴの塔屋が目を引くいそかわのシンボル的店舗である。さらに、市街地に住む人々の貴重な買い物の場でもある。

売り場は2フロアに分かれるが食品のみの取り扱い。

       

 

過去にあった店舗

適当に並べておくので興味ある人は見ていってください。

  • 店名(開業年):備考
  • 三条(1960):初代奈良店で1983年まで本部があった。創業の地?
  • 鴻ノ池(1989):後にパケットになり2021年閉店。
  • 生駒(1973):生駒駅北。
  • 三条大路
  • 大宮(1979):大宮町四丁目交差点付近。
  • 橿原(1981):橿原神宮前駅南側。
  • 郡山(1980):近鉄郡山駅前。現在の能開センター付近。
  • 佐保(1980):佐保小学校付近。
  • サンモール(1986):JR奈良駅西側、現在居抜きでサンディ新大宮店。
  • 天理(1968):天理駅前、天理ビル内地下。
  • 耳成(1982):耳成駅北側。
  • マインズ(1983):もちいどのセンター街。現在居抜きでオーケスト。
  • 東真菅(1977)
  • 西真菅(1982)
  • 王寺(1985):現在のイトマンスイミングスクール付近。
  • 小泉:富雄川のそば。建物現存。
  • 泉が丘(1976):「エリートショップ」という小型店業態だった。
  • 帝塚山帝塚山六丁目。
  • 三笠(1980):「エリートショップ」だった。三笠中学校北側。

詳しい場所は下のマップにまとめております。

www.google.com

 

ギャラリー

林小路町23の初代奈良店(三条店)跡地。
現在では「いそかわビル」が建ち、ひらがなロゴが見られる。
(左)パケット鴻ノ池店 (右)元いそかわ小泉店
奈良市内のどこか(中町とかだった気がする)で見つけた「寄贈いそかわ」のひらがなロゴ
地域社会への貢献に積極的だったことが分かる。

帝塚山店の詳細な場所やエリートショップとは何だったのかなど、まだまだ謎が多いいそかわ。情報提供お待ちしております。

 

最後にいそかわ様のホームページを貼っておきます。これからも奈良で活躍し続けることを期待しております。

www.ik-isokawa.co.jp

シルクロードタウン21とは何だったのか 奈良駅前の理想と現在

かつて、JR奈良駅周辺で奈良市によって計画された大規模な再開発事業が「シルクロードタウン21」である。

はじまり

80年代中頃、奈良駅西口の車両基地移転に伴い、付近の開発計画が浮上。関西国際空港の建設や学研都市など近隣で大規模プロジェクトが進んでいたこともあり、奈良市も関西の大都市として遅れをとらないようにと動いたのである。

当時のJR奈良駅周辺(特に西口)は古い家屋が並び、農地も見られるなど近鉄奈良周辺と比べるとまだまだ田舎だったこともあり、奈良市の玄関口としてのまちづくりが提案された。

1988年には事業の都市計画決定により建物の高さ制限を25メートルから40メートルに緩和した。

1989年には建築家の黒川紀章氏をプロデューサーとして、奈良市市制100周年である1998年に『世界建築博覧会』を開くと発表。そのメイン会場をシルクロードタウンとならまちにするとした。

黒川氏は「シルクロードタウン内の建物一つ一つを著名な建築家に設計してもらう」との意見を出していたが、奈良市側は現実的に厳しいとの考えで、両者の思惑はなかなか一致しなかったようだ。

当初の計画

皆さんが一番興味あるであろう当初の計画図を雑に再現したものがこちら。

まず目につく百貨店だが、1990年の時点ではそごう近鉄百貨店などが出店を打診してきていたらしい。両社とも当時奈良市内にすでに店舗を持っている百貨店だ。

ホテルについては現在も言われていることだが、「大阪や京都に流れる宿泊客を泊める」ことを目標としている。

また、奈良市は歴史文化遺産を持つ街として、文化交流などのためのコンベンション施設が必要と考えており、そのための大規模市民ホールは目玉だった。

ちなみに奈良駅は橋上化する予定であった。

結局

「高い建物は景観を悪化させる」「歴史的景観こそ奈良の魅力であり、観光客が減る」「市民ホールは必要なのか」など、散々批判されたシルクロードタウン21。

バブルが崩壊し、1995年には世界建築博覧会を『平城遷都1300年』である2010年に延期することが発表され、1999年には世界建築博自体の中止が発表され…

現在の様子を見てみましょう。

コミュニティ住宅

西口側の計画通りの場所に1992年完成、黒川紀章氏設計。高さ40メートルで、当時奈良県で最も高いビルだった。

ホテル日航奈良

こちらも西口の計画通りの場所に1998年完成、アルド・ロッシ氏設計。当初は三井ガーデンホテル奈良だった。ちなみにオープンから25年経った今現在でも奈良市で一番高いビルである。(奈良県で一番高いビルもここか橿原市のミグランスのどちらかとされている。)

なら100年会館

1999年オープン、磯崎新氏設計。奈良県文化会館(1968年オープン)の規模を上回り、奈良県最大のホールとなった。駅西口とはペデストリアンデッキで接続された。

奈良県文化会館が1500人収容の一方で100年会館の大ホールも1500人ほどの収容であり、必要性が問われることもあった。ただ、今まで奈良に来たことのないようなアーティストが100年会館でライブすることがあったり、文化会館が老朽化していたりすることを考えると建てて良かったのかもしれない。

以上が、予定通り完成した建物である。

その他

奈良駅は橋上化ではなく高架化された。西口の百貨店予定地は長い間空き地だったが、近年の開発でホテルやマンションが立ち並ぶようになった。

 

東口の複合交通センター等が予定されていた場所には、2009年にJR奈良駅NKビルが開業。スーパーホテルが入っており、シルクロードタウン時代の「ホテルを増やす」という目標は一応達成されたことになる。また、森精機の本社が2022年に完成した。

 

結局、シルクロードタウン21はバブル崩壊や不況の影響を受け、幻になってしまった。1998年にも2010年にも世界建築博覧会は開かれなかった。(ただ、2010年には平城遷都1300年祭が開催)

 

もしも

もしシルクロードタウン21が完成していたら、駅前の百貨店は今でも営業しているだろうか。市の財政状況は厳しいものになったのではないか。

逆に初期段階で計画が頓挫していたら、奈良駅周辺は今も古い住宅や低層のビルが並んでいただろう。景観を気にする一部の市民や観光客は喜ぶかもしれないが、地域住民や駅の利用者は古いままの洗練されていない駅前で喜ぶのか。

計画は中途半端に終わってしまったが、ここ10年くらいでいくつか40メートル級のビルが建っていき、マンションやホテルも増え、街はすっかり洗練された。

 

シルクロードタウン21は夢半ばでしっかり頓挫したが、奈良駅前が変わる大事なきっかけだったのかもしれない。

皆さんはどう考えますか。

大和平野中央スーパーシティ構想とは ~磯城郡の覚醒~

最近よく目にする(?)、「大和平野中央スーパーシティ構想」。

「大和平野中央プロジェクト」ともいわれ、簡単にまとめると奈良県磯城郡(川西町・三宅町田原本町)と共に進めるまちづくり計画である。

2020年10月、奈良県磯城郡3町がプロジェクトの協議に関する覚書を締結したことから始まった。

 

対象地域とまちづくりのテーマ

①川西町 下永地区

大和郡山市まほろば健康パーク(奈良県第一浄化センター)南東、大和川北側の田んぼを整備予定。

浄化センター公園を再整備して2014年にオープンしたまほろば健康パークと連携した健康増進のまちづくり(ウェルネスタウン)をテーマとしている。

まほろば健康パークはさらなる機能強化・再整備が決まっている(2027年開園予定)が、他地区に比べ下永地区の整備詳細はいまだ明らかになっていない部分が多い。

川西町ホームページによると「ファミリー層をターゲットとした施設の誘致を考えている」とのこと。

 

三宅町 石見地区

近鉄田原本線黒田駅東側、近鉄橿原線石見駅南西の田んぼに奈良県立大学工学系新学部キャンパスを新設予定。

奈良県立大学新キャンパスイメージ図
奈良県ホームページより引用

大学を核とした「スタートアップヴィレッジ」をテーマとしている。

「スタートアップヴィレッジ」と言われてもあまりピンとこないが、町内での起業や就業、研究を支援し、大学と連携・交流しつつ産業の活性化を図るというものらしい。

ちなみに、奈良県立大学は1990年に奈良県立商科大学として開学した大学。今回三宅町に設置される工学系新学部は2025年度、奈良市の現キャンパスに先行設置される予定。

奈良県立大学奈良市船橋町)

田原本町 阪手北・西井上地区

国道24号線の東側、唐古・鍵考古学ミュージアムのすぐ北の田んぼを事業区域として、将来の県のスポーツ拠点施設を整備予定。これは三宅町の県立大新キャンパスと並んで本計画の目玉の一つである。

スポーツ拠点施設イメージ図
奈良県ホームページより引用

川西町と同じく健康増進のまちづくりをテーマとしているようだ。

また、奈良県では2031年の国体(2024年から国民スポーツ大会に改称予定)開催が内々定しており、そのメイン会場となる可能性がある。

鴻ノ池運動公園を使わない理由や他のメイン会場候補については下の記事にまとめています。(橿原公苑と橿原運動公園の用地交換・一体的整備案は断念することになったようです。)

nara-local-info.hatenablog.com

 

④スーパーシティ構想

そこで、大和平野中央プロジェクトの進化を図るために取り組まれているのが「大和平野中央スーパーシティ構想」だ。

先端技術で未来社会の先行実現を目指す、国の「スーパーシティ構想」第二次募集に応募することも決定されているらしい。

この構想には、前述したスポーツや教育関連だけでなく、田園都市の建設や脱炭素社会、デジタル社会の実現といった未来都市的なテーマも盛り込まれている。

 

奈良県はこの構想・計画を実現させるため、用地買収や議論などに多くの予算を充てています。今後、少し地味な(失礼)磯城郡3町がどのように開発され、発展していくのか楽しみなところです。

 

参考資料

広報みやけ 令和4年1月号

【大和平野中央プロジェクト】奈良県と『健康増進のまちづくり』で協定 | 奈良県川西町

奈良県、国のスーパーシティ構想応募へ 大和平野中央で: 日本経済新聞

奈良県ホームページ

https://www.pref.nara.jp/secure/261387/hokoru.pdf

https://www.pref.nara.jp/secure/236565/1011_tiikipurojekuto.pdf

奈良の映画館を比較する

県庁所在市に映画館が無いことでおなじみの奈良県には、映画館が4館存在する。(ここでは、イオンシネマ高の原は京都とする。)

そこで、4館の特徴を記すことにした。

 

シネマサンシャイン大和郡山

オープン日:2011年7月1日

スクリーン数:9

イオンモール大和郡山内にあり、北和地域唯一の映画館。

一般のスクリーンより大きく、高解像度なIMAX設備を有しているのは奈良でここだけ。

また、3Dはもちろんのこと、座席が揺れたり風が吹いたりする4DX設備も有している。日本中にあるシネマサンシャインのなかで4DXに対応しているのは大和郡山を含めて8館のみ。

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イオンシネマ西大和

オープン日:2000年12月1日(ワーナー・マイカル・シネマズとして)

スクリーン数:7

河合町のイオン西大和店の向かいにある。ワーナー・マイカル・シネマズ西大和としてオープンし、後にイオンシネマに転換された。奈良に現存する最古参の映画館。3D上映を行っている。

期間限定で1日映画見放題のフリーパスを販売しており、最近では公式ツイッターも人気である。イオン西大和店の閉店に伴い、閉館するのか存続するのか注目が集まっている。

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ユナイテッド・シネマ橿原

オープン日:2015年12月18日

スクリーン数:9

新ノ口にある娯楽施設、ツインゲート橿原内にある。もともとツインゲートには「MOVIX橿原」が2001年から営業していたが、2014年8月に閉館。1年以上のブランクの後、当館が入居した。

奈良県で初めて4DXが導入された映画館でもある。

 

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TOHOシネマズ橿原

オープン日:2004年3月26日

スクリーン数:9

イオンモール橿原内にある。イオンシネマ西大和と同様に、3D上映は行っているが4DXやIMAXは導入されていない。

当館のオープンによって橿原市は映画館が3館ある激戦区となったが、大和八木駅前の「橿原シネマアーク」が2009年に、前述の「MOVIX橿原」が2014年に閉館したことにより、一時は橿原統一を成し遂げた。

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昔は奈良市大和高田市にもあった映画館だが、今は県内4館のみ。

奈良県民の皆さんはどこの映画館をよく利用するのだろうか?