買物しながら遺跡巡り!?奈良の「遺跡直上」ショッピングセンター7選

奈良県内でも市民の買物の場所として多数展開されている、ショッピングセンター。しかし、地下に無数の歴史が眠る奈良においては、巨大な現代建築の足元に古代の人々の営みがそのまま保存されていることも珍しくない。

現代人と古代人が交差する、奈良ならではの遺跡直上ショッピングセンター全7箇所を、実際の展示状況と共にご紹介する。

 

1. 買物ついでに歴史探訪!遺跡展示がある施設

まずは、お買物の動線上に発掘調査の成果や出土品が展示されており、店内で気軽に歴史に触れられる3つの施設を紹介する。

① ならファミリー(西隆寺跡)

称徳天皇の発願により、平城京に創建された格式高い尼寺「西隆寺」の跡地に建つ。東大寺や西大寺と並ぶほどの高貴な寺院であったが、鎌倉時代までに廃絶した。

買物客が行き交う通路に、かつてこの地が寺院であったことを示す解説パネルや、当時の配置を模した床面デザインが施されている。

 

② イオンモール大和郡山(平城京十条遺跡)

2階の「元気城下町プラザ」に常設展示スペースがある。平成18年の建設に伴う発掘調査により、それまでの歴史的定説を覆す平城京の「十条」条坊が新たに発見され、平城京の範囲がさらに広がった。


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館内では、歴史の定説に一石を投じる契機となった発掘調査の概要や、実際の遺構・遺物が詳しく紹介されている。また、入れ替え展示も実施されており、訪問時は令和元年度の発掘調査結果が展示されていた。(上画像参照)

 

③ アピタ大和郡山店(田中垣内遺跡)

2〜6世紀の約400年間にわたり営まれた、V字型の環濠を持つ集落「田中垣内遺跡」の上に建つ。店内入口に一部の出土品が展示されている。

集落からは全国的にも例がない長径67メートルの謎の巨大楕円形区画が見つかっており、今なお学会の注目を集めているらしい。他に比べて目のつく場所にあるので、知っている方も多いのではないだろうか。

 

④ ミ・ナーラ(長屋王邸跡)

奈良時代初めの左大臣・長屋王の広大な邸宅跡に建つ。昭和61年からの発掘調査により、大量の木簡が出土したことで一躍有名になった場所である。


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店舗の外周部分には、ここが歴史に名高い長屋王の邸宅であったことを示す解説板が設置されている。奈良そごうとしてこの建物が建設されてから、短期間のうちにイトーヨーカドー奈良店→ミ・ナーラ、と閉店と開店を繰り返している現象は長屋王の呪いとも言われる。

 

⑤ イオン桜井店(上之庄遺跡)

古墳時代の遺跡「上之庄遺跡」の上に位置する。屋外に解説パネルが設置されている。


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玉造り工房の跡と藤原京の条坊遺構が見つかっており、滑石製品の製作遺跡としては国内最古級の極めて貴重な歴史を持つ。(ジャスコ桜井店と書かれたこのパネルも貴重?)

 

2. 展示はなくても足元は超一級品!広大な遺跡の上に建つ施設

最後は、施設内に常設展示などはないものの、建設前の大規模な発掘調査によって遺跡が見つかった2つの店舗を紹介する。

⑥ イオンモール橿原(曲川遺跡)

縄文時代の遺跡「曲川遺跡」の上に建つ。特に縄文時代晩期の遺構は、西日本を代表する規模を誇る。

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過去の調査では漆塗りの腕輪などが出土し、東北や北陸の土器も見つかるなど、古代における広範囲な交流を伝える一級品の遺跡である。

 

⑦ スーパーセンターオークワ 田原本インター店(十六面・薬王寺遺跡)

長軸1.3キロメートルに及ぶ広大な複合遺跡「十六面・薬王寺遺跡」のエリア内に建つ。

古墳時代の玉作り集落跡や古代の水田跡、中世の館跡など、各時代の歴史が重層的に眠る場所である。

 

 

『奈良は掘ったら遺跡が出てくる』と言われる通り、大規模施設の建設には発掘調査がつきものだ。

生活の形こそ違えど、古代も現代も全く同じ場所に人々が集い、行き交い、日々の暮らしを営んできたという事実は味わい深い。そんな足元に広がる歴史のロマンを知れば、いつもの見慣れた買物の風景からも、時空を超えた不思議な繋がりを感じ取れるかもしれない。

 

 

2026年7月8日

 

奈良のオークワ歴代店舗全店記録

みなさんは、奈良県で最も多いスーパーマーケットは何かご存知でしょうか。

それは全国チェーンのイオンでも、地場のヤオヒコでもなく、和歌山から関西一円に広がった『オークワ』

そんなオークワの奈良県内歴代全店舗についての記録です。

 

 

1980年代

オークワ五条店

1985年開業。オークワの奈良県一号店。

奈良で一号店をなぜ五條市に?と疑問に思われる方もいるかもしれないが、オークワの本部は和歌山。和歌山から奈良に侵攻するなら、ほど近い五條からというのも納得だろう。

古くは本部が三重のオカダヤ(のちのジャスコ、イオン)が奈良一号店に三重の伊賀地区から電車でほど近い桜井市を選んだこともある。

現在もおそらく当時の建物のまま営業中。

 

オークワ桜井東店

桜井店として1986年開業、2003年建て替え、2023年閉店。現在はスギ薬局。

 

オークワ五位堂店

1987年開業。割とすぐに閉店し、現在はサンドラッグとして建物が残っている。

 

オークワ高田礒野店

1987年開業、2003年大和高田店の開店を機に閉店。

現在はリサイクルショッププライス大和高田店として建物が残る。看板にはオークワ矢印も。

 

オークワ香芝店

1987年開業。奈良県進出からわずか2年で香芝市に二店舗出店したというのは当時の勢いが感じられる。

現在はジャパンとして建物現存。

 

オークワ大淀店

1987年開業。ついに吉野郡にも進出。現在は建物そのままでダイソー。

 

オークワ橿原真菅店(初代)

橿原市内一号店として1987年開業。橿原市曽我町803にあったが、2003年に建て替え移転。建物現存せず。

 

プライスカット榛原福地店

遂に宇陀地域に進出、1988年開業。のちにプライスカットに業態転換した、比較的小型な店舗。

 

オークワ橿原耳成店

1988年開業。近年はずっと釣具店だったが、最近閉店して空きテナントに。

 

オークワ高田神楽店(初代)

1988年頃開業。斜め向かいの進展に移転のため閉店し、1998年にWAY書店となる。

現在も建物が残っており、キングファミリー大和高田店。オークワ矢印が残っていた。

 

オークワ御所店

1988年頃開業。御所市元町105にあったが1996~1997年閉店。WAY書店御所店となるも向かいの建物に移転、建物解体。

なお、移転した(新)WAY書店御所店も2024年に閉店した。

 

オークワ天理店

1988年開業。2000年、向かいに天理南店が開店。

天理店の跡地は建物そのままWAY書店(オークワグループ)であったが、書店が2017年に天理消防署跡地に移転したため解体。現在ははま寿司。

 

オークワあやめ池店

1989年開業。満を持しての奈良市進出。

菖蒲池駅東側にあり、現在はキリン堂になっている。

 

オークワ桜井西店

桜井店の1986年開業からわずか3年、1989年に開業。

この頃のオークワによく見られる、香芝店や榛原福地店と似たような建物。こちらも現在はキリン堂になっている。

 

1990年代

オークワ尼ヶ辻店

1990年開業。現在もオークワとして営業中。

店頭のオークワのロゴが小さすぎる。

 

オークワ大和郡山筒井店

1990年開業。2003年に閉店、少し北側に移転開業。(現在のオークワ大和郡山筒井北店)

建物の形もキリン堂になっているのも、桜井西店と全く同じである。

 

オークワ広陵店

1991年開業。2014年に閉店し、解体。現在はスーパーエバグリーン広陵店。

 

オークワ大和郡山九条店

1991年開業。現在はやまや大和郡山店。

横の看板にうっすらオークワの文字が見える。

 

オークワ橿原坊城店

1992年開業。一階で食品、二階で衣料品を扱うGMS業態の大型店。

大店法プレートは第一種。ダイソー併設。

 

オークワ大安寺店

奈良市に1992年開業。住宅街にあり、こちらも今はキリン堂。

オークワ矢印が今も残る。

 

オークワ永井店

奈良市に1992年開業。こちらは現在スギ薬局。

 

プライスカット西の京店

奈良市に1993年開業。

プライスカットとして営業するも2021年閉店。現在はこの建物に居抜きでウエルシア。

 

プライスカット法蓮店

奈良市に1993年開業。現在はプライスカットとして営業中。

 

オークワ香芝南店

1995年開業。現在でも当時のオールドな雰囲気が残る店舗。

 

プライスカット天理北店

1995年開業。後にプライスカットに転換。ダイソー併設。

 

オークワ大淀西店

大淀町に1996年開業。

ワンフロアだがオールドマクドナルドがある大型店。『関西最後のオールドマック』とも言われたが、マクドナルドは2025年末に閉店した。

 

オークワ橿原畝傍店

1996年開業。奈良唯一の24時間営業店。

 

オークワ葛城忍海店

新庄店として1996年開業。

 

オークワサンクシティ榛原店

1996年開業。和歌山などに多く出店する、オークワのショッピングセンター業態「○○シティ」の奈良県唯一の施設。

三階建てで、一階・二階にオークワが入居する。宇陀市民の貴重な憩いの場。

 

オークワ高田神楽店(二代目)

旧店の斜め向かいに1997年開業。

 

オークワ香芝逢坂店

1999年開業。店内に個別指導塾があるのが特徴。

 

2000年代

プライスカット生駒東山店

2000年開業。オークワから後にプライスカットに転換。

生駒東山店という店名だが、生駒郡平群町に所在している。

 

オークワ香芝尼寺店

2000年開業。2008年の香芝インター店開業に伴い閉店。後にTSUTAYA WAY書店となり閉店、解体。

 

オークワ橿原醍醐店

2000年開業。別棟にダイソーが出店している。

社名変更により、大店法プレートの表記が『チェーンストアオークワ』から『オークワ』に、しかも第一種。

 

オークワ橿原常盤店

2000年開業。中和幹線沿いにある店舗。

 

オークワ天理南店

天理店を向かいに移転させる形で2000年開業。

 

プライズカット大和小泉店

2000年開業。オークワから後にプライスカットに転換。ダイソー併設。

大店法プレートがあるが、大店法は2000年で廃止されたため、県内オークワ最後のプレートと思われる。

 

オークワ奈良古市店

2002年開業。

 

オークワ大和郡山筒井北店

大和郡山筒井店として2003年開業。別棟にオークワの直営衣料とダイソーを併設。

 

オークワ大和高田店

2003年開業。ダイソー、ウエダベーカリー、眼鏡市場併設の比較的大型な店舗。

 

オークワ生駒菜畑店

生駒市一号店として2004年開業。ダイソー併設。

 

オークワ田原本店

2004年開業。ダイソー併設。

 

オークワ大和郡山柳町店

ジャスコ大和郡山店の跡地に2006年開業。

 

オークワ香芝インター店

西名阪香芝インターそばに2008年開業。

 

スーパーセンターオークワ御所店

スーパーセンター業態の奈良県一号店として2008年開業。

ハンバーガー店が出店しているフードコートやダイソーが併設されている。

 

オークワ大和郡山筒井西店

コーナンと共に2009年開業。2014年に閉店し、跡地にはニトリがテナントとして入った。現在は二階にロピアが出店し、施設として再び食品を取り扱うようになった。

 

2010年代〜

スーパーセンターオークワ桜井店

2010年開業。ダイソー、フードコート、WAY書店などが出店しているかなりの大型店。

 

スーパーセンターオークワ生駒上町店

2013年開業。ダイソーやココカラファインが出店する。

 

メッサオークワ北登美ケ丘店

2014年開業。オークワの高品質業態・メッサオークワの奈良県一号店。

 

スーパーセンターオークワ富雄中町店

奈良市に2014年開業。ダイソー併設。

道を挟んで隣にイオンタウン富雄南(ダイエー)がある激戦区。

 

スーパーセンターオークワ田原本インター店

2015年開業。ダイソーや西松屋併設の大型店。

京奈和自動車道にすぐ横にあるが、店名にもある『田原本インター』は当店の開業から10年以上たった今でも計画中であり、存在しない。

 

オークワ西大和店

イオン西大和店(旧ニチイ→サティ)跡地にコーナンと共に2024年開業。田原本インター店以来9年ぶり、『オークワ』業態としては筒井西以来15年ぶり、待望の新規出店。

イオン閉店からオークワ開業までの詳しい流れは以下の記事にまとめております。

nara-local-info.hatenablog.com

 

1980年代から現在まで、奈良盆地広域で県民の暮らしを支え続けたオークワ。

その歴代店舗たちに思いをはせるきっかけとなれば幸いです。

 

 

2026年5月14日

 

 

レインボープラザ西大和 〜生ける廃墟と呼ばれた商業施設の記録と現在〜

1986年11月、ダイエー西大和店を核に、奈良県北葛城郡上牧町服部台に開業。同時期に開業したイオン西大和店と共に、西大和ニュータウンの核として賑わった。

しかし、2002年にダイエーが閉店。変わって開業した近商ストアも2014年に閉店。続々とテナントが抜け、気付けば二階のダイソーだけ、エレベーターや冷房は止まり、日本中から廃墟マニアや物好きな人間が集まり、『生ける廃墟』と呼ばれるようになっていた…

そんなレインボープラザ西大和の最後の数年『生ける廃墟』時代を写真とともに振り返る。

 

 

2018年10月・11月

すっかりテナントが抜け、ダイソーしか残っていない2018年。

店内が廃墟にしか見えないので、『ダイソーは、10月以降も全力で営業中』と掲示することで、お客を安心させていた。フロアガイドは近商ストアや南都銀行が養生テープで消されているが、それも途中でやめてしまったのだろうか。

(左)掲示(右)フロアガイド

まずは南側から入店する。本当に廃墟にしか見えない一階。薄暗くて人もおらず、本当にダイソーがあるのか不安になる。

(左)入口付近(右)吹き抜けが見える
(左)機材がそのまま残される美容院(右)閉ざされたゲームセンター

中央部に移動する。立派な吹き抜けとシースルーエレベーターがあるが、エレベーターは閉鎖中。エスカレーターもとっくに利用できなくなっている。

分かりやすいフロアマップもあった。

立派な吹き抜け

 

北のエリアに移動する。こちらは近商ストアとフードコートがあったようで、フードコートの跡地が今も残る。ドムドムハンバーガーの名残があったのが良かった。

(左)フードコート跡地(右)ドムドムのロゴ
(左)椅子や机は端に寄せられていた(右)向かいのコーヒーショップ
(左)フードコート得得市って何ですか(右)振り返ると薄暗くて怖い

二階に移動する。やっと人がいる、明るいダイソーがお出迎え。2000年代のオールドな雰囲気を残している。大型店なので、お客はひっきりなしに訪れる。

(左)広くて明るい(右)ダイエー矢印が残る

屋上へ。みんなここに車を止めて二階のダイソーに行くため、一階に人が居ないのである。

(左)階移動は階段のみ(右)屋上駐車場

 

2019年7月・9月

翌年、夏の暑い時期に訪問。まだまだ元気に営業中のダイソー。誰も人が居ないにしては入口の電球が豪華に光っていた。

(左)南入口(右)吹き抜けから見るダイソー

そしてついに、空調が故障してしまう。クソ暑い中、汗をかきながら接客をする店員と、買物する客。扇風機が稼働し、外への扉が開け放たれていだが、ほとんど意味を成しておらず、10時~18時の短縮営業となる。

(左)手書きの掲示(右)扇風機
(左)ミスドの名残(右)裏側

 

2020年8月

あれから一年。空調が壊れたまま、結局今年もなぜか夏を迎えることができたレインボー。しかし年々暑くなっていく夏に耐え切れず、閉店時刻は15時に。後にも先にもここまで閉店が早いダイソーはないだろう。

館内の気温は33℃。蒸し暑く、商品を探す集中力すらなくなる店内で、汗をかきながら売買が行われる…正気の沙汰とは思えない。

(左)かなり暑い(右)今年は手書きではない
(左)33℃を示す館内の温度計(右)いまだにテナント募集しているらしい

驚いたのは、フードコート側のエリアが立ち入りできなくなったこと、そして二階のダイソー向かいのシャッターが開かれていたことである。

シャッターの中にはすっからかんな空間。『ダイヤのA テレビアニメ化』のポップが吊り下げられていることから、もともと書店だったのでは。ダイヤのAは2013年にアニメ化されているので、その頃に閉店したものと思われる。

(左)立ち入り禁止となった(右)書店跡地?

 

2020年12月

年始の営業案内が掲示されており、2021年も営業を継続することが分かった。

 

2021年8月

なんやかんやで結局今年も空調が壊れたまま夏を迎えたレインボープラザ。毎年恒例の短縮営業も、今年は9時30分からではなく10時から。期間は昨年7月20日~8月31日だったのが、7月10日~9月10日に延長され、年々夏が長くなっていることが分かる。

(左)今年も手書きではない(右)31.5℃を示す温度計

 

 

2022年2月

ついに2022年を迎えたレインボー。館内は10℃と、外と同じくらい寒く、トイレはほとんど壊れてしまっていた。

(左)10℃を示す温度計(右)二台並んで壊れている

 

2022年6月

しぶとすぎる。またしても夏を迎えたレインボー。

短縮営業の予定は昨年と一緒だったが、ダイソーの売場が半分くらいになっていたのが気になった。

(左)毎年恒例の短縮営業が予告されている(右)ダイソーの売場が削減された

 

2022年12月

ついにこの時が来てしまった。

2022年12月18日、ダイソーレインボープラザ西大和店、休業。館内には入れないようになり、改装して再開業するのか?と憶測が飛び交った。

(左)外見はいつも通り(右)中の電球は付きっぱなし
中に入ることはできない

 

 

2023年4月

ダイソー休業のチラシが剝がされていたが、相変わらず中には入れないようだった。

 

2024年5月

ダイソーの休業から特に動きもなく、『ガチの廃墟』のまま1年ちょい、建物の解体が始まった。1986年の開業から38年、何があってもしぶとく残り続けたレインボープラザ西大和に、ついにこの時が訪れた。

 

2024年6月

あっという間に外壁のみとなってしまったレインボー。

 

2026年2月

生ける廃墟として、奈良県内外から注目を集めた伝説のショッピングセンター、レインボープラザ西大和。

跡地には2026年2月11日に『メガセンタートライアル西大和店』が開業し、連日たくさんの来客で賑わっている。ここ数年活気とは無縁だったこの場所に、こんなに賑わいがあるのは何とも不思議な気分だ。

同時期に開業し、レインボーとともに西大和ニュータウンの核として活躍したイオン西大和店も数年前に閉店し、新たなスーパーが開業している。

nara-local-info.hatenablog.com

人口減少や老朽化による、古くからのショッピングセンターの閉店・建替の時代に突入しているのだろう。

 

あの薄暗い不気味な空間の二階にある、平成の空気をまるまる残したダイソー、あの灼熱のダイソーはこれからも皆さんの心の中にあり続けることだろう。なぜなら、ダイソーレインボープラザ西大和店は、『休業中』のままだから…

 

 

2026年2月18日

 

 

奈良県の消された地名『箸喰』について

奈良県民の皆さんは、『箸喰』という地名をご存じだろうか。
そして、それを正しく読めるだろうか。
おそらく、多くの奈良県民にとっても聞き覚えのない名前であるはずだ。それもそのはずで、この地名はすでに地図の上から姿を消している。

結論から言えば、『箸喰』は現在の橿原市光陽町にあたる。
本記事では、『箸喰』の読み方と由来、集落としての歴史をたどり、現地を訪れて今なお残る痕跡を探った。

読み方・由来

『箸喰』の読みは『ハシバミ』(『ハシワミ』『ハチカミ』と書かれた資料も存在)

粘土で祭祀を作る人のことを『ハニシベ』と呼び、その転訛と言われる。当地周辺ではレンガや植木鉢などの産業が盛んだったらしい。

かつては『薑村』とも書かれた。(葛城市には現在も薑(ハジカミ)という地名が残っている)

 

箸喰の歴史

1889年4月1日 町村制施行により箸喰村は周辺の村と合併、高市郡天満村に

1957年3月1日 天満村は大和高田市編入合併大和高田市の一部に

1957年7月1日 住民投票の結果、大和高田市箸喰地区は橿原市へ、光陽町に改名

以上の通り、地名『箸喰』は4か月だけ大和高田市になったのちに、1957年の橿原市編入の際に消されたのである。

既に近隣に存在した光陽中学校の名からとって『太陽のように輝く』という趣旨から山田氏(光陽中の前身、菅原中の初代校長)によって『光陽町』と名付けられた。『箸喰』という地名は橿原市として使っていきたくなかったのかもしれない。

 

箸喰探訪

実際に箸喰集落(光陽町)に訪れて、『箸喰』の名残を探しに行った。

光陽町は橿原市南西部の小さな住宅地。高田はもちろん、御所や新庄にも近い立地で、最寄り駅は近鉄南大阪線坊城駅橿原神宮西口駅曽我川を挟んで東側が昔からの集落、西側が比較的新しい住宅地となっている。

昔は『箸喰』と呼ばれていたであろう東側の古い集落を見ていく。光陽町南東端には青々とした田んぼとバス停がある。橿原神宮前駅とイオンモール橿原を結ぶバスが通っている。

(左)南東端から見た景色(右)光陽町バス停と橿原市川西町の奈良県営住宅橿原団地

東側の集落は忌部山の麓に密集しており、道路は複雑で狭隘。集落内には、円教寺という寺院がある。

(左)狭い道路とひしめく住宅(右)忌部山と昔ながらの集落

円教寺

町域にある八王子神社にも訪れてみた。忌部山の山頂付近に本殿があり、南側に参道が伸びている。橿原市史には、300年以上の歴史があると述べられている。

(左)参道(右)古そうなキャビンの灰皿
(左)今でもきれいに管理されているようだ(右)箸喰集落を参道から見下ろす

残念ながら『箸喰』の文字は見つけられなかった。しかし、川沿いを歩いていると…

電柱に『ハシワミ』『はしわみ』の文字が。電柱番号には、いまだに古い地名が付けられることがあるのだとか。

結局西側も散策したが、『箸喰』はここの電柱でしか見られなかった。50年以上も前に光陽町に変わっているので、仕方ないのかもしれないが。

西側にある光陽町集会所

 

おまけ『蛇喰』

生駒市上町、富雄川沿いの小さな集落にも『喰』の字を用いる地名がある。

『蛇喰』と書いて『ジャハミ』と読むこの地名も現在用いられていないが、こちらはバス停名や交差点名、橋梁名にも用いられている。

地名の由来は、『砂崩(ジャグエ)』という地形名が『ジャグイ』に変わり、結果として漢字が『蛇喰』に変わったものといわれる。

(左)蛇喰集会所(右)奈良交通蛇喰バス停
(左)富雄川に架かる蛇喰橋(右)蛇喰橋西詰交差点

合併や住居表示等で消えていった地名はいくつもあるだろうが、同一の範囲が全く別の地名にまるまる変えられてしまった『箸喰』のような例は珍しいだろう。

それも、『光陽』というキラキラネームに…

 

 

2026年1月28日

 

 

ユアーズヨシダ ー 奈良県懐かしローカルスーパー

奈良県の昔存在した懐かしい地場スーパーを紹介するこのシリーズ。

第二弾はユアーズヨシダです。80年代に奈良盆地全域に展開し、一時は店舗網急拡大により奈良No.2まで登り詰めた伝説のスーパー。

その沿革や県内店舗、そして外食事業の『実乃花』にも迫りました。

ユアーズヨシダのロゴマーク

 

沿革

1923年    創業

1967年    会社設立。吉田弘文氏が家業(酒屋)を継いで一年後のこと

1981年    ヨシダから社名をユアーズヨシダに

1984年    中小卸と中小スーパーを結ぶ中小流通VAN開始第一号に

1986年    活魚料理店『実乃花』一号店大和郡山に開業

1989年    この頃には奈良・大阪にスーパー21店、飲食店4店の一大チェーンに

1992年    二年連続売り上げ大幅減少、不採算店閉店、ドラッグストア出店へ

2001年頃 倒産

2006年頃 全店閉店

 

県内店舗一覧

・大和店(奈良市学園大和町3-4)

1967年開業。ヨシダ一号店。2000年以降も営業していたようだが、閉店後解体されている。

 

鶴舞店(奈良市学園朝日町2-5)

1970年開業の二号店。2000年以降も営業していたようだが、2000年代半ばに閉鎖、近隣住民の間では夜逃げとも噂された。ユアーズヨシダ最後の店舗という説もある。

 

・登美ヶ丘店(奈良市登美ケ丘3-3-13)

1977年開業。この時代くらいまでは人手不足で、悪戦苦闘の連続だったという。

 

東九条店(奈良市東九条町771-1-1)

1980年開業。イセヅドライとして建物現存。

 

・一条店(奈良市法蓮町410-2)

1982年開業。現在も建物が残っており、建物の名称は『ユアーズプラザ井田』である。

 

・北之庄店(奈良市北之庄町37-1)

1983年開業。大和郡山との市境付近。

 

・紀寺店(奈良市南紀寺町1-247-5付近)

 

・天理店(天理市川原城町698 天理駅前第二ビル地下)

奈良市を中心に展開していたユアーズヨシダだが、店舗展開は止まらず、ついに天理市にも進出。

天理駅前第二ビル内でニチイ天理南店と共に出店していた。(天理ビルでは県下No.1いそかわニチイ天理店が共に出店)

閉店後は外食事業の一環として焼肉店の『花ごころ』を1990年に開業させている。

 

・河合店(北葛城郡河合町西穴闇304-5)

 

・下田店(香芝市下田西1-10-14)

当時は北葛城郡香芝町。

 

・岡寺店(橿原市見瀬町595-3)

ついに橿原市にも進出。岡寺駅前で、建物は現存している。

 

・三輪店(桜井市三輪72-5)

 

平群店(生駒郡平群町吉新3-1)

平群駅前、現在はきれいな図書館に整備されている。元々スーパーユーというスーパーだったらしい。

 

・片岡台店?(北葛城郡上牧町片岡台2-13-25)

やまかつ本部があった片岡台のグリーンハイツに一時出店?詳細不明。

 

現在確認されている奈良県内の店舗は以上。他に大阪や京都にも店舗があったと言われている。

 

活魚料理店『実乃花』

ユアーズヨシダがスーパーとともに力を入れていたのが活魚料理店『実乃花』である。店名の由来は会長夫妻の名前から。

広い店内に大きな生簀を擁するなどかなり気合が入っていた様子で売上もかなり良く、1986年の郡山店(大和郡山市下三橋町18-5)出店以降も、天理店、住道店、八木店、寝屋川店を相次いで出店していたようだ。

実乃花郡山店(当時のHPより)

 

急激な出店戦略で奈良県No.2地場スーパーにまで登り詰めたユアーズヨシダ。その急激さや多角的経営のせいなのか、大量閉店に倒産、最終的には唐突な店舗閉鎖に至ってしまったという。

情報提供お待ちしております。

 

 

2026年1月21日

 

 

【県内で日本一周】奈良の旧国名地名を追え!

奈良県内に、但馬、武蔵、備前など旧国名を冠した地名が多いのを知っているだろうか。

一説には、摂津、遠江、甲斐、安房、下総、陸奥、出羽、安芸、肥前、日向を除いたすべての国名が地名として現存するともいわれている。

理由としては、古代における古墳や藤原宮、平城宮東大寺などの仏寺の建設や農地の開墾に他の地域から人々が集まったからというのが有力である。

 

そこで今回は、奈良県内に今も残る旧国名地名をほぼすべて見ていこう。

 

畿内

河内(五條市西河内町

もとは「西川」という地名だったものが、「西河内」になったらしい。なので、近隣に「東河内」という地名があるわけではない。

 

東山道

磐城(葛城市)

葛城市にある近鉄の駅名。1889年に発足した磐城村(→當麻村→當麻町→葛城市)から取られた駅名。

磐城は村域にある岩橋山の「磐」と葛城の「城」の合成地名

 

上野(五條市上野町)

読み方もそのまま「コウズケ」

元の地名は「カミノ」・「カウノ」・「コウノ」だったようだが、転じて「コウズケ」になったらしい。

五條市の西部、野球場やアリーナがある上野公園が区域内にある。

 

飛騨(橿原市飛騨町・上飛騨町)

藤原宮跡のすぐ南部にある住宅地。もと高市郡鴨公村。

藤原宮の造営に飛騨から飛騨匠という木工技術者が当地に招集されたといわれる。

 

美濃(大和郡山市美濃庄町)

国道24号線と県道754号線に挟まれた、割と大きめの集落。もと添上郡平和村の中心地で、平和小学校が所在する。

古くは「南之庄」・「箕田庄」とも書かれたらしく、美濃国から取られた地名ではないっぽい。

京奈和自動車道の建設が進められている。

 

北陸道

能登桜井市河西)

桜井市河西にあった地名。現在もバス停名として残る。

集落のある鳥見山西麓は能登山と呼ばれる。

 

東海道

上総(天理市上総町)

田んぼの中の小さな集落。もと山辺二階堂村

「カズサ」ではなく、「カンサ」と読む。由来不詳。

(左)上総バス停(右)上総町公民館

 

武蔵(天理市武蔵町)

天理市南西部、田原本町との境にある田んぼの中の小さな集落。もともと磯城郡田原本町(川東村)だったが、1958年に天理市編入された。

 

伊豆(大和郡山市伊豆七条町)

国道24号線京奈和自動車道西名阪自動車道が交わる位置にありながら、田んぼの中にひっそりとたたずむ集落。

もと添上郡治道村で、古くは伊豆庄と七条庄に分かれていたようだ。由来不詳。

交通量の多い道路群のそばの、静かな集落。
京奈和自動車道の建設など、周辺では大規模な工事が行われている。

 

三河三宅町三河

三宅町に三つある旧国名地名のうちの一つ。明治時代に隣の屏風村から分かれて成立し、三宅町成立後も大字として残る。

由来は、当地が舎人親王の子または孫と言われる三使王(みつかいおう)の封邑であったことから、「ミツカイ」・「ミツカウ」が転じて「三河」と呼ばれるようになったとされる。

(左)三河公民館(右)枝郷の説明板

 

伊賀(曽爾村伊賀見)

現在宇陀郡に残る、唯一の旧国名地名。

由来は山頂に上ると伊賀国が一望できるからとも、伊賀領だったから「伊賀の地」という意味で「伊賀見」と呼ばれるようになったとも。

 

山陰道

丹波天理市丹波市町)

天理市のかつての中心地で山辺郡いちの町として栄えた、丹波市

古くは単に「丹波」と呼ばれていたようだが、中世以降に六斎市が行われたこともあり、「丹波市(タンバイチ)」と呼ばれるようになった。訪問当時は魚市場の名残で木造のアーケードがあったが現存していない。

地名の由来は、物部多波連公(たはのむらじきみ)が当地に居住したからとも、丹波国から夷神を勧請したからともいわれている。

(左)道路が広いのは中央に水路があったから。現在は暗渠になっている。
(右)訪問当時はあった木造アーケード。
(左)木造アーケードには、丹波市を紹介する掲示があった。
(右)天理丹波市郵便局。

 

丹後(大和郡山市丹後庄町

興福寺の荘園として成立した集落。もと生駒郡筒井村。

なぜか交差点名は「丹後之庄町」と「之」が付いている。

 

但馬(三宅町但馬・上但馬)

三宅町南西部、町内に三つある旧国名地名のうちの一つ。

(左)近鉄田原本線但馬駅(右)駅前には古そうな空き店舗がいくつか並ぶ。
(左)三宅但馬簡易郵便局(右)但馬のはま

 

出雲(桜井市出雲)

桜井市東部、長谷寺の手前にある集落。

古墳時代の豪族・野見宿禰が當麻蹴速と相撲するために出雲から奈良に訪れ、当地に住み、出雲から土師を読んで埴輪を焼かせたという伝承がある。現在でも出雲人形の製作地として知られている。

 

石見(三宅町石見)

三宅町東部、町内に三つある旧国名地名のうちの一つ。

橿原線の駅前なこともあり、地区内は古くからの住宅と新興住宅が共存する。

(左)近鉄橿原線石見駅(右)イワミとミカワ

 

山陽道

吉備(桜井市吉備)

地名は当地に由来のある、大伯皇女の出身地から取られているという説や吉備真備がここに邸宅を置いたから・社寺を建立したからという説がある。

高取町にも同名の地名がある。

 

備前天理市備前町)

天理市南西部、田原本町との境界にある地域。もと山辺二階堂村。南端で武蔵町と接する。

備前氏に由来するともいわれるが、詳細は定かではない。

(左)備前橋(右)ミニストップ天理備前町店

 

南海道

阿波(斑鳩町阿波)

古くに「飽波(アクナミ)」と呼ばれた地域に近く、「飽波」は湿地帯であることを表す地名。「アクナミ」が転じて「アナミ」となり、「アワ」になったという説がある。

(左)「阿波村」の記載がある看板。(右)阿波神社

 

土佐(高取町上土佐・下土佐)

高取城の城下町として古くから栄え、置き薬・製薬業などが盛んな薬の町としても知られる。

飛鳥の都造りに駆り出された土佐の人々が帰郷できずに当地に住み着いたとされている。

 

西海道

豊前桜井市豊前

こちらは「ブゼン」ではなく、「ブンゼ」

南北朝期から見られる地名であり、文献によっては「豊瀬」と書かれることもある。

ちなみに、御所市にも奉膳と書いて「ブンゼ」と読む地名がある。

 

筑紫(天理市九条町)

天理市九条町の小字。

物部竹志連が当地に住み、その子孫が筑紫氏を名乗るようになったことが由来とされている。

 

大隅橿原市常磐町)

橿原市常磐町内の小字に「大隅」がある。古くて小さな集落が、常磐町の片隅に今も残っている。

九州の大隅から、京都の宮殿で犬や鳥の鳴き声をするという仕事に来たものが一軒の家を建て、そこに住むようになったのが始まりとされる。

(左)集落内の小さな神社に「大隅」の名が残る。
(右)常磐自治会館の住宅案内板には4小字の区割りの表示がある。

 

薩摩(高取町薩摩)

高取町の田んぼの中にある小さな集落。由来不詳。

(左)田んぼの向こうが薩摩の集落。(右)薩摩簡易郵便局


おまけ

讃岐(広陵町三吉)

古くに散吉(サヌキ)郷として知られた地域で、現在でも地域内に讃岐神社がある。

「サヌキ」は崖を意味する地名とも、「狭野城」の意味とも、讃岐国と何らかの関係があるともいわれている。大字の三吉は赤部・斉音寺・大垣内の合併地名といわれ、「散吉」とは何の関係もないという説が有力。

竹取物語の舞台としても知られる讃岐神社。

 

現在でも使われている、漢字が同じ旧国名地名は以上である。

読みが同じなものだと、因幡(天理市稲葉町)、伊予(田原本町伊与戸)、現在残っていない地名だと桜井市長門などがある。

今回、由来を調べて分かったことは、奈良に旧国名地名が多い理由としてしばしば言われる「古墳・都城・社寺の建築に全国から人が集められて住み着いた」という説が適用できそうなのは飛騨・土佐くらいだということである。

旧国名地名のほとんどは「偶然旧国名になっただけ」なのだ…

 

 

2025年10月14日

 

スーパーやまかつ・まねき屋(山勝総合食品)ー 奈良県懐かしローカルスーパー

奈良県の昔存在した懐かしい地場スーパーを紹介するこのシリーズ。

第一弾は山勝総合食品です。中高年には「やまかつ」、ヤングには「まねき屋」でお馴染みで、奈良市には無かったものの県内各地にあったので知っている人も多いはず。

その沿革や県内店舗、「まねき屋」(実は東京にもあった!?)屋号の正体にも迫りました。

やまかつとまねき屋のロゴ

 

沿革

本部は長らく大阪市阿倍野区にあり、堺市など大阪府にも店舗がいくつかあったようだ。

1976年 山田勝により会社設立

1979年 一号店出店

1995年 本部を法隆寺店に移転

2000年 民事再生法を申請(サボイグループ入り?)

2001年 屋号を「まねき屋」に転換開始

2012年 サーブ(サボイ)へ全店(法隆寺・明日香・八木・桜井駅前)譲渡・消滅

 

県内店舗紹介

片岡台店

やまかつ片岡台店)《北葛城郡上牧町

1979年開業。上牧町ニュータウン・片岡台にあった、やまかつ奈良県1号店(全国1号店との説も)。二階に本部が併設されていた。

 

法隆寺

やまかつ法隆寺店→まねき屋法隆寺店)《生駒郡斑鳩町

1986年開店、1995年には山勝総合食品の本部が当店二階に移転、2001年「まねき屋」に転換。2012年にサーブに譲渡された店舗の一つ。

法隆寺駅前にあり、使い勝手が良い店舗であったが近隣の万代法隆寺店には勝てなかったのか2014年閉店。

当時のホームページより

 

八木店

やまかつ八木店→まねき屋八木店)《橿原市

1986年開店、1998年増床、2002年まねき屋転換。2012年にサーブに譲渡された店舗の一つであり、明日香店と共に2017年4月20日に閉店。元やまかつ店舗として最後まで営業していた店舗の一つであった。

八木と言っても大和八木駅前ではなく、そこから西に進んだ小綱町にあった。現在はクスリのアオキ八木店として建物はそのまま使われている。

 

広陵

やまかつ広陵店)《北葛城郡広陵町

開店年不明、80年頃に営業していたと思われる謎の多い店舗。

広陵町疋相の集落の中にひっそりとある小型店舗で、建物が現存している。

 

明日香店

やまかつ明日香店→まねき屋明日香店)《橿原市

1993年開店、2002年まねき屋転換。2012年にサーブに譲渡された店舗の一つであり、八木店と共に2017年4月20日に閉店。元やまかつ店舗として最後まで営業していた店舗の一つであった。

店名は明日香店であるが、橿原神宮前駅と岡寺駅の間にあり、橿原市に所在する。

営業当時。(2017年4月)

閉店後。「やまかつ」のロゴが見える。

 

郡山南店

やまかつ郡山南店→まねき屋郡山南店)《大和郡山市

1993年開店、2001年まねき屋転換、2011年閉店。

国道25号線沿い、大和小泉駅と筒井駅の中間地点にあった。

当時のホームページより

 

桜井駅前店

やまかつ桜井駅前店→まねき屋桜井駅前店)《桜井市

桜井駅前の再開発物件・エルト桜井の核店舗として1995年開店、2003年まねき屋転換。2012年にサーブに譲渡された店舗の一つであり、2015年閉店。

エルト桜井では近鉄百貨店桜井店が1994年に撤退した後、当店が20年間営業を続け、その後地元スーパーのヤマトーや地元企業運営のフードレックスなど食品スーパーが出店した。近鉄百貨店が約三年、ヤマトーやフードレックスも約一年しか持たなかったことを考えると、エルトで20年営業したまねき屋はすごいのかもしれない。

(左)エルト桜井。
(右)駐車場にはまねき屋のロゴが残っていた。

 

橿原店

やまかつ橿原店→まねき屋橿原店)《橿原市

1987年開業、2001年まねき屋転換、2005年ごろ閉店。

新ノ口駅近くの24号線沿いにあった。建物そのままジャパン橿原店として残っていたが、2025年6月30日閉店。

 

高田敷島店

やまかつ高田敷島店)《大和高田市

1991年開業、閉店年不明。

大和高田市大谷のつかもとマンション一階に所在し、ロードサイドに出店しがちなやまかつにしては珍しい、住宅地内の店舗。

 

香芝店

やまかつ香芝店)《香芝市

2000年ごろ開店、2001年ごろ閉店。一年ほどしかなかったとされる伝説の店舗。やまかつとしては規模の大きい店舗。

2001年のゼンリン住宅地図には「やまかつ生活満足館」と記載されていた。建物は現在コーナン香芝旭ヶ丘店として残っている。

(左)現在はコーナン
(右)塔屋にうっすらやまかつのロゴが見える気がする。

 

南生駒店

(まねき屋南生駒店)《生駒市

2006年開店、数年で閉店。

ライフ南生駒店跡への居抜き出店であった。閉店後は業務スーパー→サンディとして建物現存。

 

田原本

(まねき屋田原本店→まねき屋プラス田原本店)《磯城郡田原本町

2010年開店。2011年には「まねき屋プラス」という新たな屋号を掲げ、ディスカウント業態に転換するもすぐに閉店。

跡地はディスカウントストアトライアル→ひごペット。

 

まねき屋とは?

やまかつ後期の主力屋号だった「まねき屋」とは果たして何だったのだろう。

調べてみると、2001年に創業した株式会社マーチャントネットワーク(サボイ<現・サーブ>のグループ企業と思われる)が「流通業界の革新」を掲げて「まねきシステム」という販売システムを開発し、同業他社へノウハウを提供。提供された店舗が「まねき屋」を名乗っていたようだ。

まねきシステムを採用し、まねき屋の屋号を用いていたのはサボイ、山勝総合食品、池忠、ノダヤなど関西の中堅スーパーの他、西東京市のスーパーレッツなど多くあった。

まねき屋の一号店は2001年3月、大東市に開業したサボイやまかつ味道館が同年9月に屋号変更してオープンした、まねき屋住道店である。

 

まねきシステムとは

・個店仕入

本部による一括の商品仕入れから、個店による仕入れにすることで地域に合った品ぞろえを実現するというもの。生鮮四部門を任されている担当者らは独立し、それぞれ個人商店のような形で店舗を展開するという「オーナー店長制」も導入されていたらしい。

 

・とくとくカード

持っていた県民も多いかもしれない、まねきシステムの根幹をなす施策。買物時に出る100円未満のおつりを店側に一旦預け、おつりの合計が2000円になると、500円のプレミアがついてギフトカード2500円分で返されるという画期的なもの。

当時のホームページより

 

・ハンドビラ

会員向けの安い商品を案内するチラシを新聞に折り込むのではなく店内で配ることで、チラシの印刷費を削減、会員向けのEDLPを実現するというもの。

 

他にも、ピンクのレシートの日に抽選で全額返金、降水確率が60%以上の日のレシートも抽選で全額返金など、店舗によって異なるものの、様々なシステムが導入されていた。

まねきシステム導入企業の破産が相次ぎ、サーブ(サボイ)のとくとくカードも2018年でサービス終了、今や「まねき屋」「まねきシステム」は流通革命を信じた企業たちの夢の跡なわけだが、実は今でも宝塚に一店舗だけ残っている。

店舗詳細ページ | サーブ | 地域密着(大阪・兵庫)の生鮮食品スーパーマーケット 【サーブ味道館】【サボイ味道館】【まねき屋】

 

 

1980年代~2010年代の奈良県民の食卓を支えた、やまかつ・まねき屋。流通業界の革新に挑戦していった面白いスーパーでした。

この記事が、やまかつ・まねき屋を皆さんの記憶の片隅に留める一助となれば幸いです。

 

 

2025年8月14日